自分をイヤになるとき
2006年 04月 03日
例えば、
「自分は口から生まれてきた」と言わんばかりに、言いたいことを言いたいだけしゃべっている人を見たとき。
要領よくテキトーに物事を進めている人を見たとき。
ハタから見て、自分のやりたいように生きてきたように見える人に会ったとき。
お互いにやたらとホメあっている人を見たとき。
そういう人に会って、相手を素直に認めることができず、
「アナタがそれだけしゃべっていられるのは、だまって聞いてくれている人がいるからだ」
「テキトーにやるくらいならやめたら?」
「やりたいようにやってこれた裏には、やりたいことをガマンして協力してくれた人がいるんだ」「ふたりとも本当に本心からそう思ってるの?」
と思ってしまって、ふとそんな自分をものすごくイヤになることがあります。
きっと、自分の中にそんなふうに生きていける人をうらやんで、ひがんでいる自分がいるのだと思います。「私は本当にこんなふうに生きていきたかったのか?」「本当はどういうふうに生きていきたいんだろう?」と、どこかで思っている自分もいるのだと思います。
そんなことを考えていられるのは、ヒマな証拠なんでしょうね…。平和ボケなのかも。
「自分は口から生まれてきた」と言わんばかりに、言いたいことを言いたいだけしゃべっている人を見たとき。
要領よくテキトーに物事を進めている人を見たとき。
ハタから見て、自分のやりたいように生きてきたように見える人に会ったとき。
お互いにやたらとホメあっている人を見たとき。
そういう人に会って、相手を素直に認めることができず、
「アナタがそれだけしゃべっていられるのは、だまって聞いてくれている人がいるからだ」
「テキトーにやるくらいならやめたら?」
「やりたいようにやってこれた裏には、やりたいことをガマンして協力してくれた人がいるんだ」「ふたりとも本当に本心からそう思ってるの?」
と思ってしまって、ふとそんな自分をものすごくイヤになることがあります。
きっと、自分の中にそんなふうに生きていける人をうらやんで、ひがんでいる自分がいるのだと思います。「私は本当にこんなふうに生きていきたかったのか?」「本当はどういうふうに生きていきたいんだろう?」と、どこかで思っている自分もいるのだと思います。
そんなことを考えていられるのは、ヒマな証拠なんでしょうね…。平和ボケなのかも。
by ririshihaori
| 2006-04-03 00:10
| 思い