’71年生・中部地方在住新米かあちゃんの“ケセラセラ”な日常


by ririshihaori
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カテゴリ:ことのは( 2 )

ROOTS

僕らははぐれた兄弟 分かれ流れゆく河
蓮華の咲きみだれる野原で生まれ
ただ幸せを夢見 泣き笑い夕陽を見つめ
それぞれの言葉で 祈りつづけた

瞳に映るものだけを 守ろうとするうちに
あなたを忘れかけるから 今夜は手紙を書こう

この河を辿ってゆこう 悲しみのルーツをさがして
この星の果てにいる あなたの痛みをもっとわかるように
今はまだ泣かないで 太陽はそっちに昇るよ

言い伝えられた感情 僕らはすっかり信じて
イメージの海へとどっぷり沈んでゆく

ひかれた境界線は 想うよりも深く
たった1つだった心を パズルの破片(かけら)へと砕く

空高く昇ってゆこう 一番遠くまで見渡して
この星の果てにいる あなたのぬくもり思い出せるように
今はまだ泣かないで いつか会える日のために

この河を辿ってゆこう 悲しみのルーツをさがして
歩いてきたこの道に 最後には花が咲くように
誰もが同じものを 同じとき 同じように 愛せないけれど
今はまだ泣かないで いつか会える日のために

(B’z「BIG MACHINE」より)

聴いているとき何度もリピートしてしまううたのひとつです。
メロディーもピッタリ合っていて、心に沁みてくるのです。
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by ririshihaori | 2006-03-13 19:28 | ことのは
おもしろい話をひとつ。

ある知人の元編集者が、同じマンションに住む女性に、「○○さんならおいしい店いろいろ知ってるでしょ。どこか紹介して」と言われたそうだ。で、自分の中でかなり上位にある店を1軒紹介した。ところが後日「たいしておいしくなかったよ」と言われ、また別の店を紹介した。後日「またおいしくなかったよ。グルメの編集者って言ってもたいしたことないんだね」と言われたそうだ。その話をしながら、彼女は相当キレていた。「いやがらせみたいじゃない?」と。

その場ではフムフムとだまって聞いていたが、私はその女性の言うこともわかるような気がした。人の味覚は個々に違う。自分がおいしいと思う=他の人もおいしいと思う、とは限らない。もしくは「おいしい」と聞いて、大きな期待を抱きすぎたために、かえって「期待ほどじゃなかった」のかもしれない。

「流行」や「ブーム」が成り立ち、本屋に「販促的(宣伝的)情報誌」が山ほど平積みにされるのは、日本人の判断力が未熟だからじゃないか。情報誌に載っていた店に行くとき、店に入る前すでに「この店のあの料理はおいしい」という呪文(先入観)にかかっている人も実は多いのではないか。ファッションにしてもそうだ。みんなそれぞれに感性が違うはずなのに、同じバッグを持っていたり、同じような格好の人が多いのはどうしてなのか。コピーのうえでの「個性的」と本当の「個性的」は何か違うのではないか。私たちは「ことばを食べ」、「ことばを買っている」に過ぎないのではないか。そういう疑問を持って以来、私はそれまでやっていた、いわゆる商業的な情報誌の仕事をやらなくなった。

世の中にはたくさんの情報と宣伝がうごめいている。作る側はいかにたくさんの人を引き付けてお金を落としてもらうかを考えて作っている。宣伝にお金をつぎ込めばつぎ込むほど、当然大きなバック(利益)を狙っている。お金を払う私たちは、それが本当に自分に必要なものかをできる限り冷静に判断しなければならない。流行りものをこれ見よがしに持ち歩いている人を見るほど滑稽なことはない(そういう人がいてくれるから、日本の経済が回っているのも事実。ある意味ありがたい存在ではある)。のせられるだけの人生、のせられて買ったものにまみれた生活は、ちっとも個性的じゃないしきっと味気ない。

残念ながら今私の周囲にあるのも、機械的に作られた大量生産のものばかり。だから、部屋の中もどこか味気ないし、思い入れがないからこそ「捨ててさっぱりしたい」なんて平気で言えるにちがいない。「自分が本当においしいと思うもの」、「自分が本当にいいと思うもの」。そういう自分の感性や判断力に素直に、受け身ではなく、自分のアンテナで「能動的に生きる」人になりたい。
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by ririshihaori | 2006-02-16 10:15 | ことのは