’71年生・中部地方在住新米かあちゃんの“ケセラセラ”な日常


by ririshihaori
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カテゴリ:思い( 27 )

「自分はこういう人間だ」
「自分には~はできない」
と、自分で自分を柵で囲うようなことはやめよう。
なるべく。

囲った時点ですでに自分の可能性を狭めているような気がするから。

自分のことは自分にはわからない。
子どもを見れば親がわかるように、自分のことは自分以外の周囲の人が表す。
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by ririshihaori | 2006-03-14 09:22 | 思い

出会いにマニュアルなし

去年、弟が結婚する半年ぐらい前に伯父の法事があり、母親が出席した。その家には私より5、6歳上の独身の息子がいる。帰りに母親をもよりの駅まで送ってくれる車の中で、次のような会話があった。

彼「○○くん(うちの弟)は、彼女とどうやって知り合ったの?」
母親「友達の紹介(友達の奥さんの友達)みたいよ」
彼「僕、コンパとか苦手なんですよね」
母親「……」

どうやら彼も結婚はしたいらしい。私は親に「見合い話はいらないからね」と言っていたほど、結婚したいという思いを強く抱いたことがないので、彼の気持ちがよくわかるとはとても言えないが、コンパが苦手なら、お見合いや紹介で最初から1対1で会ってもいいし、コンパだけが出会いの手段じゃないと思う。現に、結婚した友達の出会いの場も、職場で、コンパで、ねるとんで、紹介で、学校で、バイト先で、実習先で、といろいろだ。「私は自分で相手を見つけられないから」とハッキリ言い切って、紹介してもらった何人目かの人と結婚し、幸せに暮らしている友達もいる。

出会いなんてどこにあるか誰にもわからない。私自身も、学生時代にはお互いにまるで興味のなかった相手と、数年後にひょんなことから再会し、今に至っているのだから(爆)。「コンパが苦手」ならそれでいい。ただ、苦手なら苦手なりに何かしら別の方法をとるなり探すなりしないと、家の中でじっとしているだけじゃ出会いの場はやってこない。直接結婚に結びつく場に限らず、何かを始めてみてもいいと思う。興味のあるイベントに出かけてみるとか、ちょっとしたことでいいから、とにかく少しでも動いてみる。そういうエネルギーさえない人とは、結婚しても先が思いやられるよ…と私なら思うのですが。いかがですか。

何だかこの話も「生きる力」に通じるような気が…。
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by ririshihaori | 2006-03-14 09:04 | 思い

生きる力

かなり前に教育の話題で「生きる力」ということばがやたらと聞かれた時期があった。「生きる力ってナニ」?とずっと思っていた。「言っている人たちも実はハッキリわかってないんじゃないの?」とも思っていた。

先日、アフガニスタンの2人の少女(戦災孤児)が、ある団体のサポートで名古屋市内の小学校に通いながら、一人は失った視力、一人は歩けなくなった足の治療を受けたというニュースを見た。彼女たちはその団体の代表の人の家に滞在したようだが、代表の帰りが遅ければ自分たちで自発的に夕飯の支度をし、初めはまったくわからなかった日本語も3ヵ月でほとんどわかるようになったそうだ。一人は30㎝の距離までなら何とか見えるようになり、一人は何とか自分で歩けるようになって帰国した。アフガニスタンでは戦災孤児の施設に入るそうだが、勉強して日本の大学に入り、一人はエンジニアに、一人は医者になりたい、という夢を持ったようだ。

このニュースを見ながら私なりに思った。
「生きる力」とは、「どんな状況下に置かれても、どこへ行っても、自分なりに幸せを感じられる(or追求できる)力」のことじゃないかな、と。だとしたら、学校教育でそういう力をつけさせようなんてことはおこがましい話なのでは、と。

亡くなった人を責めるつもりは全くありませんが、年間3万人もの人が自ら命を絶つこの国で、「生きる力」をつける必要があるのは大人のほうかもしれません。
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by ririshihaori | 2006-03-14 08:15 | 思い

人生の目標

最近、友達に聞かれました。

ひとことで言うのは難しいけど、人生の「最終目標」を挙げるとすれば、ボケずに寝たきりにならずに、そしてあの世からお迎えが来たときに「あぁいい人生だった」と思えること。人生最高にいい顔して逝きたいものです。

一見簡単そうだけど、私たちの世代が年寄りになるころには、簡単でない時代になっているかもしれません。今の元気な高齢者に比べたら、不自然なものばかり食べているし、頭も使っていないし、足腰も弱っているし。平均寿命もきっと下がっているでしょう。
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by ririshihaori | 2006-02-24 11:23 | 思い

「昨日見た夢」

多くを望まない 高くを望まない
自分でいる限り 明日がある…

byOFF COURSE

ふとこの歌詞が頭に浮かびました。
ついでに制服時代の甘くてほろ苦い思い出も(爆)。

当時、まだまだ未熟だった私は、オフコースを私に紹介してくれた人から、いろいろなことを学びました。人との出会いって自分の生き方や考え方に良くも悪くも影響を与えると思うけれど、その人との出会いも大きなもののひとつでした。本当にありがたいことに、人との出会いには結構恵まれてきたと思っています。その人たちのおかげでいまの私があるから。

「生まれ来る子どもたちのために」も久々に聴きたくなりました。
名曲です。
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by ririshihaori | 2006-02-23 08:44 | 思い

オプション

例の悲しい事件に関連して、昨日の朝のテレビで、あるコメンテーターが言っていたことばに考えさせられた。

「日本人にはオプションがない」

確かに。
コレと決めたら、それ以外のやり方をなかなか認めないところがあるように思う。

例えば、小学校や中学校は、もう1年残りたいと思っても、6年、3年で卒業させられる。とくに小学校は基礎を学ぶところだから、もう少しちゃんと学んでおきたいと思ったら、残るのもアリにしたらいいと思うのは私だけ?

その基本にあるのは、やはり「みんないっしょ」という単一民族(実際は違うが)的な思想なのだろう。民族的にまだまだ未熟なのだ。

北京に短期留学に行ったある日の授業後、新疆ウイグル自治区出身の女性スタッフと、私と、韓国人の留学生で「お昼、どこに行く?」という話になった。

私「麺類食堂に行きたい」
韓国人留学生「じゃあ私も」
中国人スタッフ「私は留学生食堂に行く」
3人「じゃあ、また後で」

この光景が私には妙に新鮮だった。これが日本だったらどうだろう。そういうことが続いたら「あいつは付き合いが悪い」となったり、「どうせ来ないから」と自己判断して、だんだん声も掛けなくなったりするんじゃないだろうか。

自分は自分、人は人。人にはそれぞれ都合がある。そのときの気分もある。無理して合わせて一緒に来てもらって、その人が楽しくない思いをしていたら、そのほうが自分も気になる。

違う人が少ししかいないとその人たちが「例外」になってしまうが、みんなが違えば、どちらが「例外」かはわからなくなる。
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by ririshihaori | 2006-02-21 10:54 | 思い
先日、中国語つながりの友達から「少し元気になったよ」と久々にメールをもらった。うれしかった。1年半ぐらいだろうか、彼女もまた心の風邪で仕事を休み、休養生活をしている。途中で通っていた病院の先生が亡くなったり、その後ヤブ医者に当たったり、大変だったようだが、新しく信頼できる先生も見つかったようだ。

彼女は今回の経験で人生観が変わったと書いていた。そして、今後は自分の経験を生かして、同じような人をサポートするための資格を取り、仕事に生かしたいとも。今まで彼女から何かに誘ってもらったことはないのだが、春には花見に行こうと誘ってくれた。その頃には私もバンバン歩けるように(歩かなきゃいけないように)なっていると思うので楽しみ!

私には想像もつかないくらいしんどい日々を過ごしてきたのだろう。誰にでも程度の差はあれ、しんどい経験はある。そのしんどい経験を自分がどうとらえるかによって、その後の生き方に違いが出るのだと思う。彼女が「人生観が変わった」というのも、決して大げさなことばじゃない。

出口のないトンネルはない。ただ、トンネルの長さと、トンネルの中をどうやって抜けるかによって、必要な時間が違うだけだ。長いトンネルを抜けるほど、抜けたときの景色は変わっているし、安堵感も大きいような気がする。
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by ririshihaori | 2006-02-18 16:13 | 思い