’71年生・中部地方在住新米かあちゃんの“ケセラセラ”な日常


by ririshihaori
カレンダー
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31

あれから11年

阪神淡路大震災のニュースが流れるたびに、大学出てもうそんなにも月日が流れたのね、と思います。あの日は、卒論締め切りの3日前でした。何かとギリギリ嬢な私は、ワンルームの下宿のこたつの中で、早朝からワープロに向かっていました。その時、あの地震が起きたのです。私の住んでいたまちでは震度3だったかな。ひとりでいたこともあって、それでも結構コワい思いをしたことだけは覚えています。

最初のニュースは、倒れてきたタンスで頭をぶってケガ人が出た…のような内容だったのに、それはだんだん加速度的におそろしいものになっていき…あとは、皆さんご存知の通り。

我が家では、寝室からチェストとクローゼットを移動させることを計画中。地震が来たらと思うと、とんでもなく危険な場所で寝ているのです。それと、相方をリーダーに(?)子どもが生まれる前に「家の中から余分なものをなくそう運動」を予定しています。2LDKの小さな住まいなので、工夫して広くするしかありませんが、だからこそいいと思っています。スペースがあればあるほど、余計なものをいつまでも置いておきたくなるから。

どうせ死ぬときは手ぶらなんだしね(笑)。
[PR]
# by ririshihaori | 2006-01-17 09:42
昨日から、再びつわりの気持ち悪さが強くなってきた。お腹の中の生き物がまた新しく何かを作り始めたのだろうか。そして、相変わらず甘いものが食べられない。私のつわりは妙に根源的で、水分と塩分は無性に欲しくなる。水と塩は、人間にとってやっぱり最低限必要なものなのねと、変に納得している。

ところで、私には、子どもができても絶対にこれだけはしない、と決めていることがある。それは「子どもにもたれかかって生きる親にはならない」こと。よくありがちなのは、自分ができなかったことを子どもに託す親。「子どものため」と言いながら、子どものふんどしで相撲を取ろうとする親だ。少子化の影響もあるだろうが、最近の子どものおけいこブーム、低年齢化には、親のそんな気持ちが強く働いている気がする。

もちろん、きっかけを与えることは悪くないし、子どもが楽しんでやっていればそれでいいと思う。ただ、それが続かなかったとき、結果的に身につかなかったときに、子どもに無理強いしたり、子どもの努力不足ととらえるのは問題だ。元々、自分でやると決めたわけではないのだから。

それでなくとも、子どもには元々、親を喜ばせようとする「サービス精神」が豊富に備わっている。正月に、もうすぐ2歳になる姪が何度も何度も「カンパーイ」をしたり、ペットボトルの水を何度も飲んでは「プハーッ」と言っていた。「小さなお腹がタプンタプンにならない?」とこちらが心配するほどだ。それを覚えたことがいいかどうかは別として、自分がそれをすると、周りの大人たちが喜んでくれたり笑顔になることがわかったから、何度も何度も繰り返すのだと思う。

子どもに必要以上のサービスを求めると、子どもが疲れてしまうだけだ。最近の子どもが疲れているのは、親が子どもにあれこれ求めすぎるからではないだろうか。私にはいまの子どもが不憫に見えてならない。
[PR]
# by ririshihaori | 2006-01-11 09:11

葉月のころ

新しい命がこの世に生まれ出る予定。今日の診察で、やっと予定日なるものを教えてもらった。驚いたことに、大学時代の別の親友も子どもを授かって、予定日が4日しか違わない。先日書いた友達とも1ヵ月違い。あらまぁ、みんなして…。ともかく、友達の子どもと同級生になることはとてもうれしい。他にも、同級生を狙っている友達もいるし。年齢的にもそろそろ2人目を産んでおきたい、と思うお年頃なのかな。

初めての「母子手帳」をもらう。ざっぱーな性格の私は、これにきちんとメモをすることさえ続けられるのか疑問なのに、それと一緒に渡された資料の数、10冊をラクラク越える。これ、全部きちんと目を通したら、気が狂いそう。情報も詰め込みすぎると、後でヘンな悩みのタネになるだけだ。マタニティブルーにならないように、適当にめくっておくことにしよう。
[PR]
# by ririshihaori | 2006-01-10 22:37 | 暮らし
人間のそのときどきの心のあり様は、素直に「顔」に表れると思う。

昨年の夏、ベトナム・ホーチミンでメコン川クルーズを体験したとき、桟橋の先で、川に立ててある丸太(川面から2~3mの高さがある)のてっぺんに登っては、茶色く濁った川に飛び込んで楽しんでいる子どもたちがいた。見た目、小学校低学年くらいだろうか。周りに大人の姿はない。なにせ濁っているので深さはわからないが、飛び込んだ後の子どもたちはどうみても川に浮いていて、川底に足がついている感じではない。日本人である私から見れば、うらやましいような、ちょっとドキドキするような光景だ。私が船の上からカメラを向けているのを知ると、避けるどころか手を振ってきたので、船から下りた後、彼らのところへ寄っていったら、皆我先にと写りにやってきた。デジカメではなく普通の一眼レフなので、自分たちがどう写るかわからないのにだ。

そのときの自然な笑顔がたまらなく心に残って、いまでも忘れられない。それは写真を撮るためだけの「ポーズとしての」笑顔ではない。物的に恵まれた日本人は、私を含めて、写真やビデオを撮ることが好きだが、その中に「心からの笑顔」はどれくらいあるだろうか。そして、何かと行事があるたびに自分の子どもをフィルター越しに追っかけている親たちは、フィルターからは見えない“大切なこと”を忘れてはいないだろうか。年賀状の子どもの写真を見ているうちに、ふとそんなことを思ったのでした。
[PR]
# by ririshihaori | 2006-01-08 18:41

年賀状

今年も、さまざまな年賀状が届きました。年賀状って、その人の人となりや近況が伝わってきて好きです。遠くに住んでいる友達からも近況が寄せられるし、こちらも伝えられる。普段は会えない友達や最近ごぶさたな仕事仲間から届くと、本当にありがたいし、また会いたい、また一緒に仕事したいな、って思えてきます。

友達はイラスト入りや家族の写真入り、デザイナーさんはおもしろく凝ったデザイン、カメラマンは自作の写真を全面に入れて、記者さんは自分の主張を盛り込んで…etc.それぞれに職業や人となり、センスが伝わってきます。そうそう、今年は干支が犬ということで、自分の家の犬の写真も多かったなぁ。

そのなかで、どうしても理解できない年賀状は、去年も書いたかもしれませんが、子どもだけの写真を添付した年賀状。自分の子どもがかわいいのはわかるけど、どことなく失礼に思えるのは私だけでしょうか(私は家族ぐるみのつきあいでもない人に、家族の連名で送ることさえ失礼かな、と思っているくらいです。だから、仕事関係の人には別に作ったものを仕事上の名前で送っています)。それに、もらう側からすると、年々そういう年賀状が増えていることもあって、子どもだけの写真って正直サラッと見て終わっちゃうもの。それに比べて、年賀状を出してくれた本人が家族と一緒に写っているような写真は結構じっくり見ちゃうんですよね。楽しそうにやってるなー、なんて思いながら。やっぱ、まず何よりも本人の近況が知りたいからね。家族写真のほうが「家族みんなで楽しく暮らしている」感が伝わってきます。

こう思うのは「職業病」かもしれません。「内容」と「写真」がマッチしないと、どうしても気になってしまうんです。個人的には、年賀状でわかるように、多くの人がこれだけ「子ども、子ども」となっているのにもかかわらず、子どもがどんどんおかしくなっているのはなぜなんだろう、という思いもあります。これから親になる私にとっても大きな課題です。
[PR]
# by ririshihaori | 2006-01-06 12:19 | 暮らし